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1970年代



1970年代: 技術集約型産業への移行

1970年代のシンガポールでは、失業はもはや問題ではなくなりました。産業が急速な発展を遂げたのです。EDBはシンガポールを、即時に事業を開始できる拠点としてアピールし、需要を見込んで工場を建設してもらい、高度技能者を確保しました。ヨーロッパ、米国、アジアの各地に、さらにEDBの事務所が開設されました。

シンガポールの産業基盤は拡大しました。製品はさらに洗練され、コンピューター部品、コンピューター周辺機器、ソフトウェアパッケージ、シリコンウエハーなども生産されるようになりました。これが、とりわけエレクトロニクス産業への新規投資や製品多様化へとつながり、世界不況にもかかわらず、輸出額が著しく伸びました。

多国籍企業は、既に成功していた製造事業の延長として、シンガポールで研究開発業務を開始しました。シンガポールに対する長期的な信頼を示す事例です。

テキサス・インスツルメント社は、世界市場向けの半導体と集積回路の製造に600万ドルを充てて、わずか50日で生産ラインを立ち上げました。EDB はこの大規模投資を6か月以内で確保し、これがシンガポールのエレクトロニクス産業の先駆けとなったのです。

1971 年から1976年にかけては、EDBはチューリヒ、パリ、大阪、ヒューストンに新規海外事務所を開設しました。 シンガポールでは、人材育成団体を設立して技能訓練に集中しました。

1971年には、海外研修プログラムが作成され、シンガポールの若年労働者がドイツでの技能実習プログラムに参加しました。さらに、インドのタタ社、オランダのフィリップス社、ドイツのローライ社と、シンガポール政府による共同研修センターの設立に向けて、協議が開始されました。このように人材育成のためにパートナーシップを構築するというのは珍しい手法であり、初めての試みで、シンガポールの投資促進計画において、将来に向けた重要なステップとなりました。

シンガポール経済は、1975年の世界不況によりわずかに減速しましたが、素早い動きと柔軟性を維持しました。EDBはさらに多くの産業プロジェクトを推進し、製造業は流通業を超えて経済の最大セクターとなりました。



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