80年代には、シンガポール政府は、研究開発 、工学設計、コンピューター・ソフトウェアサービスなどの知識集約型事業への転換に乗り出しました。いわゆる「第2次産業革命」です。EDBは、特殊技能を持つ人材がほしいというハイテク産業のニーズに応えるため、日本、ドイツ、フランスと共同で技術学院を設立しました。ここで、エレクトロニクスやエンジニアリングの専門職につくための研修を シンガポール国民に行ったのです。また、適切な人材育成を奨励するため、EDB は技能開発基金も運営しました。サイエンス・パークが国立シンガポール大学の側に設立され、企業による研究開発事業が奨励されました。政府はまた、ロボット貸与プログラムを制定し、事業のオートメーション化を希望する製造業者に対し、低金利の融資や技術指導を行いました。政府は、労働集約型産業からの撤退とハイテク産業の誘致を加速するため、高賃金政策を採用しました。しかし、世界経済が減速するにつれ人件費が膨らみ、シンガポールは景気後退に陥ります。当時の貿易産業大臣、リー・シェンロン氏率いる経済委員会が、シンガポールの競争力回復のための政策について、長期的で厳しい見解を打ち出しました。委員会の提言のうち最も影響の大きかったものは、柔軟な賃金制度の導入で、賃金引上げは企業の収益性に比例するというものでした。経済委員会はまた、EDBに対し、経済活動の全面的な促進を要求しました。シンガポールをトータル・ビジネスセンターとしてアピールしていくという新しい目標を掲げ、EDBは金融、教育、ライフスタイル、医療、IT、ソフトウェア等、世界のサービス企業の誘致に取り組みました。EDBは、パソコン、プリント基板、ディスクドライブの製造を重要な新興産業ととらえ、この分野の企業誘致に励みました。その結果、シンガポールおよび東南アジアで最初のシリコンウエハー製造工場が1980年代前半に開設されました。アップル・コンピューターは、1981年シンガポールでのPC製造を開始し、1982年にはディスクドライブ製造も開始しました。地元企業への助成も次第に重要になってきました。EDB は1986年小企業局を開設し、地元小企業の発展を支援するため、支援プログラムを策定しました。