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ポッカ急成長と、それを支えた現地人材

ポッカ急成長と、それを支えた現地人材

1977年、ポッカコーポレーション(現ポッカサッポロフード&ビバレッジ)は、海外生産拠点Pokka Corporation (Singapore) Pte. Ltd.(以後ポッカ・シンガポール)を設立した。現在同社は、非炭酸系清涼飲料のカテゴリーで、同国でのトップブランドの地位を獲得している。その成長の原動力となったのが、ポッカ・シンガポールの子会社Pokka International Pte Ltd.(PIN) のCEOを務めるアラン・オング氏である。


アラン・オング(Alain Ong) Chief Executive Officer POKKA International Pte. Ltd.

アラン・オング(Alain Ong) Chief Executive Officer POKKA International Pte. Ltd.

企業カルチャーのギャップに悩む

実は、入社当時のポッカの社内体制は、決して満足のいくものではなかった。オング氏はこう語る。

「2006年、私は営業チームに採用されました。当時のポッカはシンガポールにおいてまだ知名度も低く、小売業者と会うのにも苦労するような状況でした。入社直後にはカルチャー・ショックも経験しました。ノートパソコンの支給にさえ、グループCEOへの上申を求められたこと、販促ツールを人事部門長が決裁するなど、責任範囲が不明確だと感じました。この組織構造の問題が、生産の非効率さやブランドの価値向上に障害をもたらす等、大きな影響を与えているのだと考えたのです。」

オング氏は当初、1ヶ月目で退職を検討したそうだ。それでもポッカの可能性を信じ、留まる決断をした。彼はその後、入社2ヶ月で会社を黒字化し、10倍の事業規模と数百人の優秀なスタッフを抱えるまでに育て上げる。
 


彼はどのようにポッカをトップブランドにまで成長させたのだろう。

「ポッカの商品の品質と研究開発能力はもともと高く、人と組織が変われば成長のチャンスは必ず訪れる。日本の経営陣の信頼を得るには、シンガポール事業の収益性を高める必要がありました。まず、製品と販売戦略を見直し、チーム構造も大きく変えました。目標はポッカをシンガポールの全家庭に浸透させること、製品の完全性、革新性、チームワークがこれを支えるのだと、営業とマーケティングチームに強いビジョンを提示しました。そして、ブランドをより消費者に身近にするため、自動販売機部門を立ち上げました。」

成功を収めたオング氏は、さらに大きなチャンスをつかむ。彼と日本の経営陣も、強く信頼し合う関係になっていた。

「2008年に当時のグループCEOからPINの指揮を任されたのです。PINでの私の経営チームは現地人を取り入れ、私が考えたポッカ成長の方程式を具現化してきました。

私はいきなりCEOとして舞い降りた訳でも、イスに座っているだけのCEOでもありません。現場から一歩一歩積み上げてきたのです。M&Aについて取締役会で検討したかと思えば、翌日には現場で問題解決に取り組む。常に現場の近くにいて、全スタッフにブランドビジョンを体現する。それがポッカ成功の裏にあるカギなんです。」

 

日本企業の現地化

海外に展開する日本企業が地域の市場に合わせて変化することの必要性を、オング氏は次のように語る。

「日本は伝統と文化に恵まれた素晴らしい国です。しかし、他国の市場では同じようには行きません。例えば、味覚は国ごとに異なります。 ポッカサッポロはマーケティングと研究開発機能をシンガポール事務所に分権しました。」

PINはシンガポール国外でも、独特なニーズをとらえ続けている。「ミャンマーとインドネシアでは、味と甘みを強くするため、ジュースと紅茶のレシピが違うんです。」

海外拠点の成功には現地のビジネス環境を熟知し、適切な技術や技能、そして高いモチベーションを備えた人材資本こそが求められる。一方で、適材を適所に配置し、育成し、実力を発揮させ、長く勤続してもらうという人材活用の基本さえ、柔軟な発想が無くては適応が難しい場合も多い。

最後に、今後の成長戦略について、オング氏に尋ねた。「健康志向層など、シンガポールにはまだまだポッカが成長する余地があるんです。シンガポールから世界市場へ、ポッカブランドを高めるためにも、積極的に拡大していきたいと思います。」

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